言葉にすること、しないこと
最近、言霊というものを信じています。
好き、ほしい、やってみたいと口に出したものと次々とご縁ができたり。
体調悪くてと嘘をついたらほんとうに熱が出たり。笑
昔から、嫌いという言葉を口に出すのがあまり得意じゃなかったかもしれません。愚痴くらいは言いますけど、嫌いってすごく鋭い言葉な気がして。
というのも。なぜかわたし、好きなものをまわりの人にけちょんけちょんに言われることがここ数年多くて。
本人に悪気がないのは十分わかっているので笑っておくんですけど、その実、結構傷ついたりして。
でもね、感謝もしているんです。いろんな感じ方の人がいるのがわかるし、何より、より一層人前で嫌いと言うのを避けるようになったからです。
人知れず傷つく人を減らせている、かもしれないのです。
できることなら誰も傷つけずに生きたいし、傷つけられずに生きたいですよね。なんて思いながら誰かを傷つけるし誰かに傷つけられるわけで。まぁでも意識して変えられるなら、減らせるなら減らしていきたいじゃないですか。ピースピース。
逆に。
好きというのはどんどん声に出していかないとと思っているわけです。
どんなに好きだと思っても、言わなきゃ伝わらないことがほとんどで。アイドルさんや歌手の方が引退するときに「好きだったのに」とか言う人いますけど、くそくらえですよ。
そのたった一言を伝えていたら、その人はまだ夢を追い続けたかもしれないのに。諦める決意をしてからそんなことを言うのはずるいよ。
役者を続けていると、一人また一人と役者をやめる知り合いが増えていきます。社会人になったりフリーターになったり、地元に帰ったり、そのうち結婚する人もいるでしょう。
でもね、一度でも同じ作品で同じ時間を生きた人が役者をやめてしまうのって、なんだか言い表せない切なさみたいなものがあるんですよ。
会おうと思えば会うことはできるでしょう。お金や時間、その他諸々のことを取っ払っても、生きていれば会うことはできます。でももう二度と、同じ舞台には立てないんだなと、そういう事実が漠然と、かなしいなぁって。
だから伝えます。あなたの芝居はいい。たとえばこんなところ。このときの目線とか。間の取り方もいい。歩き方や立ち方もキャラクターそのものです。最高。ブラボー。今回は接点のない役だったけどいつか絡みたいですね。そうやってボキャ貧な脳みそから絞り出していっぱいいっぱいラブを伝えます。
芝居が好きですが芝居を好きな人も好きです。役者なんて馬鹿じゃないとできないとわたしは思います。そんな芝居に魅せられた馬鹿がいとおしい。自分も含めて。
人の人生です。でも、できることなら、長く続けてほしい。彼女も彼女も彼もあの人も。でももしやめちゃっても、役者じゃないあなたを愛するだけです。至ってシンプル。
好きも会いたいもそんなに言われて嫌なものじゃないと思います。好きとか会いたいとか言われる人になりたい。だから好きも会いたいもいっぱい言います。
いつ死ぬかわからないんだもの。だから会いに行く。後悔しないように。もっと会っておけばよかったって思いたくないから。
もうすぐ春も終わってすぐ夏になりますね。海にでも行きましょうか。日焼けはしたくないけど、暑い暑いと言いながらくだらない話でもしたいよ。今年はいろんな人と、たくさん話をしたいな。
おわります。